あっしが学部2年くらいの時に知り合った当時流行りのパチスロ台「ゲゲゲの鬼太郎」が大好きなプロ。
サングラス+坊主というどっからどうみても堅気の人間ではないかんじだがなぜか話すようになった。理由は覚えていない。
当時彼は北大の地球環境系の院生だった(はず)。どこだかの大学から北大に移って学生結婚しちゃって既にお子さんがいるという状況だった(はず)。
「あぁ、ぼくも大学院へ行ったらそういう大人な人間になってしまうのねー」とか思ってたが、子供はもとより結婚すらしてませんわ。。。
最後に会ったのがいつなのかも思い出せないくらいあってないな。。。人生とはまさに一期一会だ。
パジェロプロ…パジェロに乗っていたからパジェロプロだ。
パジェロはパジェロでもいいパジェロだ。
IOとかそういうしょっぱいパジェロではない、高い奴だ。
パチンコ屋での出合いにおいては場所が場所だけに
香ばしい人間だらけなので名前や生い立ちをこちらから聞くのは失礼だという風潮があった(気がする)。
そのため、結局最後まで名前を聞くことはなかった。
話を聞くと小樽商科or北海道大学出身かと思われる印象を受けたことを覚えている。
彼は大学卒業後入社3日目にして退社し、この道へ進んだそうだ。
彼がプロ活動をはじめたのには通称「コンドル」と呼ばれユニバーサル
(現ARUZE)から出された機種の存在が大きいと言えよう。
コンドルは目押しが完璧なら設定1でも期待値が正になるという激甘台だったらしい(あっしは名前だけ良く聞くが触れたことはない)
コンドル時代に学生の終わり頃であった事実から推定するに年令は30前後だと思われる。
パジェロプロとの出合いは某J店に通い詰めていた時の事だ。
「勝ち続けるあんちゃんがいるなー」と思って観察していた状態が数ヵ月続き、
最終的に話すようになったのはあっしが一万枚、
彼が9000枚強のメダルを獲得してその日の店の出玉ランキング12フィニッシュを決めた後のことだ。
それからしばらくはあっしの徘徊領域の関係上、J店以外の店でも会うことがしばしばあった。
大学を抜け出してスロに言ったらばったり会って話し込む…
なんて生活が大学4年まで続いた。(気がするだけ、記憶があいまい)
そんな手取り年収600万強の彼が曰く
「プロにはならないほうがいい」
である。
この一言で自分の中でプロになろうという考えはなくなった。
どこも現実は厳しいもんだ。
そんな彼とも久しく会ってはいない。
「ハイエナ(注1)効く機種がなくなったらもうめんどいからプロやめるかも」
と言っていた彼だ。
廃業して実家に帰ったか、もしくは悠悠自適な生活を送っていることだろう。
開業or就職する姿はどうも想像できない…
また会って話を聞きたいものである。
(注1)期待値の高いポイントだけを拾って打ち歩く事。人が止めた台に飛びつく様からハイエナと呼ばれる
〜パチプロ…その寿命は10年…5年とも言われている〜
〜yana@管理人はかつて学生スロプロ(自称)だった〜
〜その当時に出会ったプロ達とのおもひでを回顧録として記そう〜
あっしと佐々木さんが出会ったのは大学二年〜三年の頃だろうか。
獣王(sammyをここまで大きい会社にのしあげた機種)
全盛期前にはよく話すようになっていた気がする。
今は無き某PT店でジグマ(注1)ってた時に、
連日のように高設定台(注2)を掴んでくる邪魔な30代前ぽいの人がいた。
それが佐々木さんだ。
こっちも負けじと連日高設定を掴んでいたらいつのまにか話すようになっていた。
彼は数年前までIT関係の企業に勤務していたが、
激務(睡眠平均3時間)に嫌気がさして札幌に帰ってきたそうだ。
当時はITバブル全盛期…だったの?かわからないが年収は1000万越えだったらしい。
すげー!
腹が出ていたのがなんだが、いい人(注3)だった。
彼はマニアックな台を自作の攻略で攻めるのが好きな男だった。
PT店が潰れてからはあまり会う機会もなくなり今はどうしてるんだろうか…
意外と株で転がして悠々自適生活なのかもしれない。
また会ってみたいものである。
(注1)同じ店に通詰める事。例:ジグマプロ
(注2)6段階ある設定の中で設定が4以上ある状態のこと(主観的定義)。要するに勝てる設定
(注3)ビクトリアでハンバーグおごってもらった
やべ、文章超下手w
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